ユーカリオでの本展「FLUSH-水に流せば-」は、循環や水への関心などを作品の鍵として制作している黒坂祐、千葉大二郎、藤倉麻子、光岡幸一、渡辺志桜里(50音順)。キュレーションを吉田山(FL田SH)が担当している。FLUSH(フラッシュ)とは洗い流すことであり、
日々行う日常での身体的な作業である。「水に流す」とは、日常的な行為であるとともに日本においては精神的にも重要な概念であり島国内で共同体(人間関係)を継続させる合言葉であり、数々の物事は水に流されてきた。吉田山がディレクターを務めていたFL田SHが入居していたビルが渋谷区の再開発の波に流されてしまったことにも由来する。
今展では、試みの一つとして、アーティスト、キュレーター、ギャラリスト、鑑賞者、そして人間というラベルも水に流し、全てを「WATER」とする。意図としては、フラットな組織構造の形成、世界中に起こるジェンダーや人種の問題、コミュニケーションの難しい植物等に対して当事者性を持つためでもある。道教の老子によれば水とは調和の象徴である。そして「道」とは自然の法則に則るということである。FL田SHを振り返る、態度としてスペースの内部空間を路上(ストリート)と見立てることで、美術作品を非日常化せず、緩やかに日常に繋いでいくことであった。この老子の水の教えまさに温故知新、これからのストリートの思想と言いえることができるかもしれない。
黒部ダムはおなじみだが、日本最大落差の滝も富山県にある、その滝は称名滝と呼ばれ、大瀑布の轟音を聞いた法然が「南無阿弥陀仏」と聞こえたことに由来すると伝えられている。
本展は、ユーカリオを流れ落ちる水、すなわち舞い散る水しぶきと轟音に包まれるような滝に見立てる。鑑賞者自身も「WATER」となり循環、鑑賞する展覧会である。本展では「WATER」へと生まれ変わった黒坂祐、千葉大二郎、藤倉麻子、光岡幸一、渡辺志桜里に出会う。
ユーカリオという参道/産道を抜けた我々の先に続くのはコンクリートの道、そしてこの地下には水脈と下水が流れつづけている。
様々な国で、震災、人災、様々な問題が溢れ出しては、水に流され記憶が上書きされ続ける。ボタンを押せば押すほど、詰まった便器から溢れ出る水を眺める。
滝となったユーカリオ、そして地下水脈と下水道の轟音から「水に流せば♪」と聞こえてくるようである。
※黒坂祐は作家都合により出品しない流れとなりました。