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秋山佑太/トモトシ/中島晴矢

「芸術競技」


@FLESH, Tokyo


2020.07.08 - 07.24


Photo: 松尾宇人
Graphic Design:金田金太郎
Opening ceremony Performance(2020.07.24): さらさ/中島晴矢/秋山佑太/トモトシ


掲載レビュー

https://bijutsutecho.com/magazine/review/22991

「芸術競技」とは1912年のストックホルムオリンピックから1948年ロンドンオリンピックまで計7回のオリンピックにて種目として採用されていた公式の競技である。
この芸術競技は、スポーツ自体に芸術性を見出すわけではなく、実際に絵画などの芸術自体で競い合い金銀銅メダルを目指すという内容であった。1906年近代オリンピックと芸術競技の生みの親であるピエール・ド・クーベルタンは「偉大な結婚」という題の講演にて筋肉と精神、つまりスポーツと芸術の再統合の必要を説いている。その後、正式な種目として1912年から実装されるのだが、結果として1948年以後は数値化の難しさやプロフェッショナルアーティストの参加によるアートフェア化などの問題によって種目からは除外されてしまう。
しかし果たして、100年が経過したこの近代以後では、芸術には精神のみが、スポーツには筋肉のみが備わっているというのだろうか? そして、芸術自体が暗に競技性を含む事をアマチュアリズムとプロフェッショナルという軸で語る事はできるのだろうか?「芸術競技」を復活させるにあたって芸術に潜む筋肉や運動、そして競い合う事を再考する試みである。

東京オリンピックの開催中心地であるこの緩やかな時間の流れる外苑前に1974年竣工のヴィンテージビルがありその一室にFL田SHというミクロなアートスペースがある。
このFL田SHではギャラリー内を「路上」と解釈することで、閉じられた空間とせず道の途中とし開催された様々な展示やイベントの企画の全ては、時空を越えた道として繋がりを持っている。
そしてこの道にも終わりが来る、入居しているビルの寿命、つまり建て壊しである。オリンピックによる再開発のスクラップ・アンド・ビルドの大波を受けた形でこのビルも取り壊しとなる。
この取り壊しになるビルから歩くこと5分でオリンピックの中心である新国立競技場へたどり着くという位置関係である。オリンピック自体は自明の通り世界的ウイルスパンデミックによって開催を延期してしまう、普段から緩やかな街は自粛や中止によってさらに眠る街となった。予言的にこの情勢を暗示していた中島晴矢の非接触の象徴であるコンドームによるオリンピックシンボルを模した作品と、今年の世界情勢をビジュアル化した国旗シリーズの新作、そして己の筋肉を酷使するプロレスパフォーマンス映像によって芸術内に潜むスポーツ性を想起させる。
そして、この街に習い、この展示はスクラップ・アンド・ビルド方式と銘打って会期中に少しづつ変容や解体、生産が進められる。アーティストであり建築家でもある秋山佑太の発酵食品と培養土、そしてコンクリートと3Dプリンタによる新作のインスタレーションはFL田SH内と野外を結び、近代オリンピックの影に潜む都市の再開発自体をダイナミックな運動と言い換えながらも、この街のスクラップ・アンド・ビルド自体をオリンピックの芸術競技として語る視点の窓口となる。
ストレンジャーとして身体一つで都市に介入するアーティストであるトモトシは棒高跳び用のポールを埼玉から新国立競技場まで電車で運ぶ行為を記録したビデオ作品では、ポールを日常へ介入させることで昨今のスポーツが持つ日常との乖離を明らかにする。そして今回の展示のための新たな介入行為によってオリンピック開催まで眠ることとなったこの街の捻じれを露わにすることで街を徐々に覚醒させる。
この外苑前では、スタジアムも建設が終了し周辺の関連施設の工事がゆっくりと進んでいる。オリンピックという大きな仕事を失ってしまった新国立競技場と競技場に装飾として植えられた植物は延期を楽しむようにのびやかに緑をなびかせる。そして本来東京2020オリンピックのオープニングであった7月24日に我々はオリンピックの意を汲み「オープニングセレモニー」を独断で開催する。そして、この日はFL田SHのミクロな道の終着点でもあり、1年後にはオリンピックが開催される予定である。